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地名の由来:連島町鶴新田
地名の由来
倉敷市連島町鶴新田は水玉ブリッジラインや倉敷みなと大橋の架かる高梁川の右岸側に位置する地区です。
新田という言葉が地名に含まれていることからも分かる通り干拓地です。
かつては高梁川が運んできた土砂で形成された干潟だった土地を1794年から徐々に干拓されていきました。
鶴新田の名前が生まれたのは1823年の事で、当時の倉敷代官が東側に亀島新田があることから、鶴亀で鶴新田としました。
謎の成羽藩領へ
鶴新田は倉敷代官所が干拓事業を行いましたが、1831年に成羽藩山崎氏の領地である北面新田と交換されています。
北面新田は現在の倉敷市連島町の北部の北面地域です。
大字としては存在しませんが、概ね連島北小学校の学区が北面の地域に相当します。
236町歩も開拓した幕府領の土地を、石高では2割程度にしかならない北面新田と交換するという異例の出来事です。
どういう経緯で行われたのかなどは伝わっておらず、不明です。
より干拓できるという意味で土地の将来性に期待していた可能性もありますが、代官所は最終的に北面新田を40町歩ほど開発したのみでした。