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地名の由来:長沼
地名の由来
岡山市東区長沼は大雄山の山麓に広がる地区です。
かつての長沼の辺りは山麓に沿った沼沢地でした。
それが中世になって新田開発が行われて現在に至ります。
地名は東西に細長く続く沼沢地である事に由来します。
場末に著された邑久郡資料では、地区の北側を流れる仙町側を航行する船を「沼船」と呼んでいたとする記録があり、当地が沼だった名残を感じさせます。
豊原南島神社
長沼に備前古社128社の1つである豊原南島神社があります。
岡山県神社庁のサイトでの紹介によると、浦上宗景に厚遇され社頷百石の寄付を受けています。
しかし宇喜多直家が砥石城を攻略する際に戦火に巻き込まれたようで、その時に神社の資料類も失われたそうです。
更に息子の宇喜多秀家の時代には社領を没収される憂き目にあっています。
宇喜多家没落後に西国将軍と呼ばれた池田輝政から社領の寄付を受け、そのまま現在に至るようです。
近くの公園にはかつての社領の名残なのか、神社へ向かう鳥居が残されています。