『計画凍結から日本の首都へ!? 吉備高原都市』
吉備高原都市とは
吉備中央町に「吉備高原都市」と呼ばれる計画都市があります。
構想が出たのは約半世紀前の1973年の事でした。
岡山県の中央部に広がる吉備高原の内、当時の賀陽町と加茂川町(※現在は2町の合併により吉備中央町)に跨る約1,800haの土地を開発して新しい都市を作ろうという計画が立ち上げられました。
都市は「保健福祉区」、「自然レクレーション区」、「研究学園区」、「産業区」「センター区」、「住区」、「農用区」の7つのゾーンに分けて作られています。
(センター区のきびプラザ)
1981年に整備が始まり、完成は1995年の予定でした。
凍結された計画
しかし計画は上手く進みませんでした。
まず1つ目の理由として、岡山県の財政難が挙げられます。
計画を打ち出した長野士郎知事は地方自治法の解説書を執筆するなど、地方行政のプロフェッショナルでした。その知識を活かして在任中に大規模な公共事業を幾つも断行しました。
それは岡山県の発展に大いに寄与しましたが、一方で巨額の債務を抱えて財政再建団体への転落も危ぶまれる状況に陥っていました。
巨額な費用がかかる吉備高原都市の計画は1997年に一旦凍結となりました。
2つ目の理由として土地の売れ残りが挙げられます。
吉備高原都市の住区(住宅地として整備された区)の地価は岡山市郊外と同等に設定され、未だ整備が行き届いていない状態としては高すぎたのです。
企業誘致も同様の状態であった為、計画はこれらの分譲が完了した時点とされました。
(更地の目立つ吉備高原都市の様子 2022年7月撮影)
ネックになった価格を下げるなどの対応もなされていますが、分譲は未だに進まず、計画も凍結されたままになっています。
この間に吉備高原都市を有する賀陽町と加茂川町は合併、吉備中央町を新設しました。センター区へ町の行政機能の一部を移し、将来的には吉備高原都市を町の行政の中心とするなどの展望を掲げています。
しかし同町の財政的な都合もあり、今のところ構想段階に留まっています。
凍結から日本の首都へ?
そんな吉備高原都市が再び世間の注目を集めるようになったのが、なんと首都機能の移転計画でした。
現在、東京に様々な機能が一極集中している状態にあります。この状態を解消する為に首都機能を移す議論が進められています。
その候補の中に吉備中央町が挙げられたのです。
岡山県は自然災害の少ない地域です。
その中でも吉備高原は岩盤が強く、安全面が確保されます。
吉備高原都市は前述の通り計画都市として作られており、首都機能を移すのにも適しています。土地が余っている状況も寧ろ有利な条件と言えそうです。
更に吉備中央町にはもう1つ岡山空港が近いという好条件があります。
これは偶然ではなく、岡山空港の移転の際に大いに栄える予定であった吉備高原都市からの距離も考慮されていたのです。
計画都市として整備されてきた吉備高原都市の素性の良さが、ここに来て首都機能を受け入れの可能性を高めることになりました。
県が手を上げた計画が、まさかの首都として再生する時が来るのでしょうか…!?
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画像:吉備高原都市
写真撮影:岡山の街角から
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