『中川横太郎と驚きの寄付』
解説
岡山県で活躍した社会活動家の中川横太郎。
学校の整備に尽力した事でも知られ、1870年に一旦廃止されていた閑谷学校の再興の際にも中心的な役割を果たしました
そんな彼が山陽英和女学校へ対して行った寄付は驚くべき方法でした。
山陽英和女学校(現在の山陽女子中学校・高等学校)は1886年に設立して以降、生徒数が伸び悩び、生徒が内職をして学校の経営を支えるような状態でした。
そこで中川横太郎は新聞へ自分の生前葬を行うことを告知、香典を多めにして欲しい旨を書き添えたのです。
そして貰った香典をそのまま寄付に回しました。
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