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清貧の人・八郎兵衛の娘

『清貧の人・八郎兵衛の娘』

解説


 江戸時代の玉野市八浜町に清貧な事で藩主にまで知られた女性がいました。
 本人の名前は伝わっておらず、八郎兵衛の娘としてだけ知られています。

 八浜では1654年に干魃と洪水が続き、餓死者が出るほどの状況に陥っていました。
 そこで藩は役人を派遣して麦やお金を支給していました。

 その中でも特に酷い状況にあったのが八郎兵衛の娘でした。
 役人は当然お金と麦を渡そうとしました。
 しかし麦を頂いているのにお金まで受け取れないと頑なに固辞しました。

 どうしても受け取らないので、最終的に本人に渡すことは諦め、親族に渡して彼女の為に使うように伝えました。
 この話が藩主・池田光政の耳に届くと、非常に感激しました。
 そこで褒美としてお米を贈ったそうです。



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