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保管されている車体

廃線、そして現在へ

玉野市電の廃線


 延長や駅の追加を繰り返した玉野市電ですが、経営は苦しい状況が続きました。
 1964年にはコストダウンの為に電気から動力車(ディーゼルエンジンなどで動く車両)へ変更するなどの措置をとりましたが、状況は改善しないまま1966年には廃止の方針が打ち出されます。

 時代は既に自動車社会に変わろうとしていました。マイカーを持つ人も増えましたし、玉野市電に競合するバス路線も出来ていました。
 廃止の反対運動も行われましたが方針は変わらず、1972年3月31日をもって全線廃線になりました。

 駅舎やホーム、線路は撤去され、今回歩いてきたような道が作られました。

 さて、終点を過ぎた先に玉野市電跡のハイライトとなるスポットがあります。
 終点を過ぎた後も続く歩行者・自転車道を道なりに歩くと、それは見えてきます。

玉野市電の里帰り

車体

 上の写真の電車は、1964年に行われた動力の変更の際に使わなくなった車両が高松琴平電気鉄道に売却されていたものです。

 高松琴平電気鉄道で長らく活躍しましたが、現役引退が決まりました。

 そこで玉野市電保存会という有志の団体が車体を引き取り、玉遊園地前駅から近いすこやかセンターという施設の一角へ保存することになりました。
 駅のホームに停車するように保存されている車体は、年に何度かのイベントなどに活用されています。

ホーム風の保管庫

 電車は普段から公開されているので、いつでも見ることが出来ます。(車体の内部にはイベント以外では入れません)

 外観は玉野市電というよりは琴平電気鉄道の名残の方が強いようですが、大切に保管されているのが判ります。冊子やキャラクター商品も出ているので、興味がある方はサイトをチェックして下さい。

奥玉小学校跡

奥玉小学校・校門

 すこやかセンターで興味深いものを見つけました。

 『玉野市立奥玉小学校』の校門です。
 車体が保管されている場所は廃校になった奥玉小学校の跡地です。
 校門のみが当時のままで残されていました。

 以上で玉野市電跡を一通り見てきました。
 遺構は余りありませんが、散歩道としては色々な物が見られて楽しいルートです。

 駅跡は調べないと判らない場所ばかりですが、もしあなたが散策する時にこのページをブックマークしておいてくれればきっとお役に立てることでしょう。


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目 次

写真:保存されている車体、奥玉小学校校門
写真撮影:岡山の街角から


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