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石井十次と岡山孤児院発祥の地
詳細
石井十次
生没年:1865~1914年
職業:慈善事業家
ゆかり:孤児院を始めた
スポット:発祥の地である観音堂
石井十次とは
岡山県で救済事業に大きな功績を残した4人を岡山の四聖人と呼びます。
石井十次はその中の一人に数えられる人物です。
岡山医学校で学んでいた1887年に、彼は貧困に喘ぐ未亡人から一人の子を預かりました。
そしてこれをきっかけに同年の内に岡山市の三友寺で孤児教育会を開設、更に孤児を受け入れ続けました。
後に石井十次は医学の道を諦め、生涯を児童福祉に捧げました。
孤児教育会は後に岡山孤児院へ発展します。
そして岡山に限らず自然災害、戦争など様々な事情の孤児を受け入れ続けた結果として最盛期には1,200人を超える規模にまで膨れ上がりました。
孤児院は後に石井の郷土である宮崎県の茶臼原に移転しました。(茶臼原孤児院)
こうした事業から「児童福祉の父」と呼ばれています。
岡山孤児院発祥の地
岡山孤児院は1926年に活動を終えました。
ではゆかりの地は失われてしまったのか…というと、実は残っています。
石井十次が児童福祉に携わるきっかけとなった未亡人と出会った場所である大師堂が残されており、「岡山孤児院発祥の地」として整備されています。
医学を学んでいた石井十次は転地療養を兼ねて、岡山市東区上阿知で代診を行っていました。
その時に住んでいた場所の隣の大師堂に、母と子二人のお遍路が泊まりました。
前述の通り未亡人で二人の子を育てる経済的な余裕がない様子を見かねて、この内の男子(前原定一)を石井十次が預かりました。
児童福祉の第一歩を進めた場所です。