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武将・黒田官兵衛

詳細

黒田孝高(写真は備中高松城址)
別名:黒田官兵衛、黒田如水
生没年:1546年~1604年
職業:武将
ゆかり:戦、祖先ゆかりの地
スポット:高松城、墓地

黒田家・墓所

 大河ドラマで一躍有名になった『黒田官兵衛』こと、黒田孝高。
 この方は岡山にゆかりのある人物です。
 岡山県内には、関わりの深いスポットが二箇所あります。
 黒田家は曽祖父の代まで岡山に住んでいました。
 瀬戸内市の妙興寺というお寺には、今でも黒田家のお墓が残されています。
 また、黒田孝高の息子は関ヶ原の戦の際に功績を上げて、筑前守に任命されましたが、この時に先祖代々住んでいた備前福岡(現在の瀬戸内市長船町福岡)の地名をお城の名前とした事が『福岡県』の地名の由来となっています

墓所:瀬戸内市・妙興寺、黒田家墓所瀬戸内市長船町福岡684)

備中高松城跡

 黒田孝高さんは策士であり、豊臣秀吉さんの右腕として活躍した人物です。
 その功績の中には、本能寺の変で織田信長さんが亡くなった事を聞いた豊臣秀吉さんが『中国大返し』をする舞台ともなった備中高松城を攻め落とす際に用いた、『水攻め』の立案者というものがあります。
 沼城だった備中高松城に、近くの川の水を引き込み、堤防を作る事で文字通り陸の孤島としてしまう奇想天外な戦法でした。
 
 一日あれば十分に見て回れる距離なので、ファンの方は両方とも回ってみてはいかがでしょう。

マップ(墓所)



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関連リンク


写真:備中高松城址
写真撮影:岡山の街角から

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