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お夏の墓 

お夏の墓・茶屋跡

詳細

お夏
生没年
:不明

職業:旅籠の娘

ゆかり:余生を過ごした地
スポット:墓、茶屋跡(見学無料)

お夏清十郎とは


 このページでは備前市にあるお夏の墓と茶屋跡について書きますが、その前にお夏とは誰ぞや?という方の為に、先に大体のあらましを書きます。
 ご存じの方は読み飛ばして下さい。

 江戸時代に人気を博した文芸作品に"お夏清十郎"という物があります。
 これは1662年に姫路で起こった駆け落ち事件をベースにした作品群の事で、文字作品、人形浄瑠璃、歌舞伎、そして映画化された事もあります。

 旅籠の大店・但馬屋の娘であるお夏は、手代(地方役人)の清十郎と恋に落ち、二人は駆け落ちをします。
 しかし二人はすぐに捕まってしまい、清十郎はお夏を拐かした罪と、盗みの濡れ衣まで着せられて打首になりました。
 お夏はショックの余り狂乱状態となり、そのまま行方をくらましており、その後の事は一切伝わっていません。

お夏は備前で茶屋をした?


 お夏のその後については、各地に伝承が残されています。
 備前市もその内の一つで、西片上にお夏のものとされる墓と、経営していたと言われる茶屋があります。

 墓は冒頭の写真のもので、隣には追悼碑も建てられています。
 綺麗に整備されている事が、この地でお夏が大切に扱われてきた事を感じさせます。

 ではどうして備前市にお夏の墓があるのでしょう?
 清十郎の死に悲嘆に暮れたお夏は、姫路から離れて備前の地に辿り着きました。
 そして峠道で茶屋を開いて生計を立てていたというのです。

お夏の茶屋跡
 こちらが茶屋があった跡で、墓から徒歩数分の場所にあります。
 看板によると、茶屋はお夏の美貌もあり繁盛していたそうです。

 前述の通り清十郎を失った後のお夏の動向は判っていませんが、国境を超えてすぐの場所である備前の地で余生を過ごしていた…というのは、なかなかリアリティがあるような気がしませんか?

マップ




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関連リンク


写真:上・お夏の墓、下・お夏の茶屋跡
写真撮影:岡山の街角から

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