常山城の女性の霊
常山城とは
玉野市と岡山市にまたがる常山。
頂上には常山城跡があります。
備中三村氏の姻戚である上野家が築いた城です。
戦国時代に毛利氏と三村氏は衝突し、各地で三村氏の拠点が落とされました。
常山城は一族最後の城として1575年に攻め込まれて落城しました。
この時に城主の妻・鶴姫が34人の侍女を率いて毛利軍に攻撃を仕掛けました。
しかし一騎打ちを求めた敵将の乃美宗勝が女性との戦いを受けず、鶴姫らは城に戻り城主と共に自害しました。
鶴姫や侍女らを常山の女軍と呼び、武勇伝として語り継がれています。
ページの冒頭部にある写真が女軍の墓と伝えられています。
尚、城の歴史はここで終わりでは有りません。
常山城はその後、宇喜多家の所領となり戸川秀安が城主を務めました。
関ヶ原の戦いで宇喜多家が失脚すると小早川家に移り、伊岐真利が城主になりました。
しかし小早川家の小早川秀秋は子を設けないまま急逝、家は改易になります。
その後で岡山藩主になった池田家によって廃城とされました。
女性の幽霊
合戦跡と言えば少なからず心霊の噂が出るものですが、常山城で目撃されると噂されているのは女性の霊です。
この事が女軍のエピソードと相まって、鶴姫や侍女ではないかと囁かれています。
かつては観光地として賑わった常山城跡ですが、現在は訪れる人も少なく閑散としています。
児島湾の干拓地を見渡せる展望台も草木に囲まれ、季節によっては草を踏み分けて進まなければ到着できません。
そのような場所に城主が自害をしたとされる腹切岩などがあるので、何はなくともうすら恐ろしいような気持ちになるのは当然かも知れません。
しかし常山城で一番恐ろしいのは幽霊でも腹切岩でも有りません。
そのような場所に城主が自害をしたとされる腹切岩などがあるので、何はなくともうすら恐ろしいような気持ちになるのは当然かも知れません。
しかし常山城で一番恐ろしいのは幽霊でも腹切岩でも有りません。
余り大きな自動車がなかった時代に整備された為か、今の自動車では常に左右に気を配る必要があるほど細い道です。
更に道の状態も決して良いとは言えません。
車を使わない登山道も整備されていますが、小さな山なので距離こそ短いもののわりとガチの山道です。
夜に肝試しをしたいという方は昼でも大変な車道を走るか、夜中の登山を楽しむかしなければなりません。
恐らく幽霊よりも恐ろしい体験になるでしょう。
関連リンク:常山城跡(岡山の街角から)