宇喜多直家国とり始まりの地・乙子城
詳細
■ 所在地:岡山市東区乙子
■ 建設:16世紀中頃?
■ 営業時間:見学は24時間可(日中推奨)
■ 入場料:無料
■ 関連リンク:乙子の地名の由来
宇喜多直家出世の城
岡山市東区乙子にある小高い山に、かつて岡山の戦国大名・宇喜多直家が城主を務めた乙子城がありました。
備前国の東部を支配していた浦上宗景が児島湾監視の為に築城させました。
築城は1544年と伝えられていますが、それ以前より存在していたとする説も見られます。
宇喜多家は直家の祖父、能家が暗殺されて以降は没落していました。
乙子城の城主への就任は、宇喜多家にとって再興の記念すべき出来事であり、能家時代の家臣も再集結したと言われています。
また直家は戦国大名として、乙子城以降も目覚ましい活躍を見せ、備前と美作を平定しました。
この事から、乙子城跡の近くには宇喜多直家国とりはじまりの地とした石碑が築かれています。
城の歴史と現在
直家は先述の通り、目覚ましい活躍で新たな城を与えられ乙子城を去りました。
その後は直家の弟の忠家が預かり、暫くの間は残されていました。
しかし備前国が平定されると、児島湾を監視する目的で作られた乙子城はその役割を失い、廃されたそうです。
現在、城跡には建造物は残されていませんが案内看板があるのと、曲輪跡などの名残が見られます。