津山城
詳細
■ 国指定:史跡
■ 別名・愛称:鶴山城
■ 所在地:津山市山下135
■ 建設:正平年間(1346~1369年)
■ 営業時間:8:40~19:00
(※鶴山公園)
■ 入場料:310円(16歳以上)
■ 関連リンク:津山城跡で愛を探すデート
津山城の歴史
津山市にある鶴山公園は、県北随一の桜の名所として人気です。
現在では桜の方が有名になりすぎて、公園内の立派な石垣を不思議に思う人もいるとか。
この石垣は津山城の名残です。
津山城の歴史は古く、1440年代には最初の鶴山城が建てられています。
しかしこの鶴山城はすぐに廃城になってしまします。
それから随分と経ち、1603年に津山藩が誕生したのに伴って改めて作られたのが、現在の津山城です。
津山藩の藩主となった森家の家紋が鶴だった為、鶴(かく)の読み方を変えてツルにした上で文字を当て直したのが『津山』の地名の由来です。
隠された五重の天守
津山城は残された石垣からも判るようにとても立派な建物だったそうで、櫓の数では日本第三位のお城でした。
天守も五重の立派なものでしたが、実は築城当時は五重の天守を幕府が禁止していました。
そこで四重目の瓦を取り払い、残った部分を庇として、四重に偽装しました。
明治6年に出された廃城令で城の建物は撤去されました。
その後は荒廃するがままになっている時代が続いていました。
石垣が壊れるごとに石を売却する…そんな状況を憂う人々の提案によって津山市が保存、整備を進めて現在の鶴山公園ができました。
扇の勾配
残されている石垣は『扇の勾配』と呼ばれる、石垣の中でも最も美しいとされる工法によるものです。
開いた扇の内側のようななだらかな曲線の事で、姫路城や熊本城といった名城にも採用されています。
現在では備中櫓が復元され、往時の佇まいを思わせます。
津山城が蘇った日
築城400年の際に記念事業として天守閣に次いで大きく、重用されていたとされる備中櫓が復元されました。
次は天守閣の復元を期待する人も多いでしょうが、実は既に過去に天守閣が復元された事があります。
1936年、鶴山公園で産業博覧会が開催された際、その見世物の一つとして、天守閣を復元したのです。
勿論、本格的な復元ではなく仮設程度のものでした。
そして会期終了後に戦争の際に城が攻撃目標とされてしまう事を懸念して、撤去されてしまいました。