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上寺山・餘慶寺

詳細

宗派:天台宗
所在地:瀬戸内市邑久町北島1187
駐車場:有り


餘慶寺の歴史


 瀬戸内市の上寺山 餘慶寺は749年に報恩大師が"日待山 日輪寺"として開基したのが始まりです。
 以降、備前四十八カ寺の一つとして栄えてきました。

 平安時代には天台宗中興の祖・慈覚大師円仁により再興され、名が"本覚寺"と改められました。
 本尊の千手観音菩薩が奉祀され、七堂伽藍が整備されるなど、再び繁栄の時代を迎えます。
 しかし12世紀頃には源平の争乱に巻き込まれてしまい、近隣にあった今木城と共に支院や三重塔などを失いました。

 そこから徐々に寺院の復興が進み、その途中で現在の"上寺山 餘慶寺"に寺号が改められました。
 この時期を特定する史料はないものの、餘慶寺では応仁・文明の乱(1467〜1486年)頃ではないかと推測しています。

 江戸時代に入ると池田家の庇護を受け、最盛期には7院13坊を数えました。
 現在でも支院は6院が現存しており、これは県内では屈指の規模です。
 
 長い歴史の中で寺が保持してきた数多くの文化財は、毎年10月の"寺宝展"で公開されています。

千手観音菩薩と池田継政


 餘慶寺の本尊の千手観音菩薩は秘仏で、33年に一度だけ御開帳されます。

 この千手観音菩薩には岡山藩主・池田継政との不思議なエピソードがあります。
 ある時、江戸に在勤中だった継政は重病に侵されます。
 すると夢枕に千手観音が現れて、自分は備前の東向きの観音だと名乗りました。

東向き観音様

 そして病気を直したいのであれば、悩む心を祈る心に改めて、自分を厚く祈るように伝えていきました。

 そこで継政は夢枕で聞いた通り、備前の中で東向きの千手観音を探させました。
 すると餘慶寺にあることが判りました。
 さっそく祈願すると、病気はすぐに平癒したそうです。

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写真:餘慶寺
写真提供:Googleマップ

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