『岡山市公会堂が人気になったワケ』
岡山市公会堂
現在の岡山県庁の西側駐車場付近に、かつて岡山市公会堂がありました。
竣工は1928年、設計を担当したのは岡山県出身の建築家の薬師寺主計です。
大原美術館などの建造で知られ、岡山公会堂も洋風の建物でした。
岡山市街地を襲った岡山空襲の際には屋根に損傷を負いながらも生き残りました。
そして戦後は焼失した学校の校舎代わりに使用され、その後に再び公会堂として利用されるようになりました。
この公会堂は、完成当初は利用者が少ない状況が続いていました。
それが一般に知られるようになったのは、男の欲望が関わっています。
裸劇の上演だ!?
ある時、広島県を中心に活動する羽田別荘少女歌劇団が岡山公会堂で公演をすることになりました。
羽田別荘少女歌劇団の通称は略して『ハダカゲキ』(羽田・歌劇)でした。
岡山での公演に際しても、その名称で宣伝が行われていました。
しかしハダカゲキを『裸劇』と勘違いした人が少なくありませんでした。
公演が始まると、何かを期待した人々が大勢押し寄せて満員御礼になりました。
とんでもない勘違いではありますが、この出来事によって岡山公会堂が広く知られるようになり、演劇などで使われる機会が増えたそうです。
関連リンク
画像:『歌』
-戻る-