TOPコラム岡山の過去の出来事>55.宇喜多興家

砥石城址

『あなたは誰の子? 存在が否定される宇喜多興家』

宇喜多興家とは


 瀬戸内市の妙興寺に宇喜多直家の父、興家の墓があります。

宇喜多興家の墓

 宇喜多興家は父・能家の隠居を受けて砥石城の城主となりますが、浦上家と対立した赤松氏によって城を落とされました。この時に能家は自害したとされ、興家と幼い直家は城を脱出します。
 妙興寺の案内看板によると鞆(現・福山市)に逃れており、ほとぼりが冷めた頃に長船町福岡に戻ってきました。ここから頭角を現す直家に対し、興家はその名に反し家の再興に動く事はありませんでした。
 その死には病死の他に島村一族の子供衆と諍論して殺害された、自害したなどの説がありますが、どれもいまいち冴えない死因です。
 これらの事から無能と呼ばれる事も少なくありません。

宇喜多興家は存在しない?


 興家の名前は1709年に刊行されたとされる和気絹という地誌が初出です。
 城を追われ放浪の末に再起する事なく亡くなったという不遇の経歴とはいえ、城主を務めた人物にしては史料が少なく、その不自然さは否めません。

 更に能家が逝去した後の天文年間(1541年〜1543年)に山科家が送ったとされる能家の官位である宇喜多和泉守に宛てた文書が出てきており、能家がまだ生きていた可能性や別の後継者がいた可能性も浮上しています。

 これらの事から、興家は存在しなかったとする説が有力説になっています。
 そうなると直家の父親は誰だったのか?という疑問も出てきます。

 私は興家の生涯を始めて見た際に、有能すぎる息子の引き立て役のような父親像だと感じました。もしかすると直家の国盗り物語を盛り立てる為に後年の歴史学者が生み出した創作のキャラクターだったのかもしれません。
 
 詳しくは今後の研究にゆだねるしかありませんが、皆さんはどのように考えるでしょうか。
 


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関連リンク

画像:砥石城址、興家の墓
写真撮影:岡山の街角から





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