TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>23.倉敷下津井屋事件
『倉敷下津井屋事件』
倉敷下津井屋事件
観光客で賑わう倉敷美観地区で、かつて背筋も凍るような殺人事件が起きた事があります。
人呼んで、倉敷下津井屋事件。
1864年に豪商である下津井屋の当主とその子が殺害された事件です。
しかもただの殺人ではありません。
殺害された下津井屋親子の首は川に投げ込まれていました。
倉敷考古館の辺りに首が浮かんでいたと伝えられています。
更に殺害しただけではなく、屋敷には火が放たれました。
容疑者
首を川に放り込むという残忍な所業や、屋敷に火まで放つという行為から、下津井屋へ対する私怨が疑われました。
そこで容疑者として浮上したのが大橋敬之助という人物です。
大橋敬之助は以前に下津井屋が商取引において不正を働いたと代官所へ訴え出た事があり、下津井屋はその為に投獄されていました。
しかし代官が変わると形成が逆転。下津井屋は釈放され、大橋敬之助の方が倉敷に居づらくなって、姿を消してしまいました。
下津井屋の殺人事件は、まさにこのタイミングで発生したのです。
ただし真偽は不明のままです。
新禄古禄騒動
江戸時代の倉敷には、大きく2つの派閥がありました。
1つは古くから倉敷で財を成してきた古禄派と呼ばれる人たちで、もう1つが新たに頭角を現してきた新禄派と呼ばれる人たちです。
徐々に衰退していた古禄派ですが、古くからある名家なので様々な面で特権を保持していました。
そこで利権を巡っての争いが起こります。
新禄古禄騒動等と呼ばれるもので、最終的には新禄派が勝利する形で決着しました。
下津井屋事件も古録派と新禄派の対立によって発生した事件ではないかと考えられています。
関連リンク
画像:倉敷考古館周辺
写真提供:岡山県