TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>6.神戸事件
『明治政府初の外交問題・神戸事件』
神戸事件とは
江戸時代が終わり、明治政府の治世になって一番最初に起こった外交問題の「神戸事件」には、岡山が関係していた事をご存知でしょうか。
事件が起きたのは、1868年の兵庫県の神戸市・三宮神社周辺です。
明治政府はまだ不安定な情勢を鑑みて、岡山藩から西宮市へ兵を出し有事に備えるように指示しました。
この兵士らが西宮へ向って神戸を通行している時に、フランス人がこの列を横切ろうとしました。
この行為は当時の武士にとって重大なマナー違反でした。
兵士たちはその行為を諌めようとしました。
しかし言葉や文化の違いから互いにエスカレートしていきます。
そして神戸港の開港の準備で訪れていた諸外国の公使までをも巻き込んだ銃撃戦に発展しました。
事件のその後
一時、周辺は騒然とし、神戸市街地が欧米諸国の人々に占拠されました。
しかし死者は無く、怪我人も殆ど出さずに、数日後には事件は収束しました。
終息したとは言っても責任の所在は明らかにしなければなりません。そして行き違いがあったとは言えど、最初にフランス人に対して手を上げたのは日本側です。
その最初となった人物が岡山の滝 善三郎でした。
事件の発端となった責任を取り、そしてこれ以上事態を大きくしない為に、彼が切腹することで、神戸事件は決着しました。
事件の影響
事件はまだ国外に対して公式に発表されていなかった、徳川幕府から明治政府へ政治の主導権が移った事を、諸外国へ対して公にする契機になりました。
明治政府が事態を収めようと動くものの、政権が移った事を知らない諸外国に明治政府の言葉は聞き入れられなかったのです。
そこで急遽、朝廷がそれを発表する事になったのです。恐らく明治政府が思っていたのとは随分と違うお披露目となってしまった事でしょう。
以上が一重大な事件に発展しかねなった神戸事件の顛末です。
出身地の岡山市北区御津町の七曲神社の境内には、文句も言わず責任を引き受けた滝 善三郎を称える義烈碑が建立されています。
内容はその死を名誉あるものとして称えるものです。
関連リンク
画像
『現在の事件現場周辺』
義烈碑(撮影:岡山の街角から)
-戻る-