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疎開宅

金田一耕助『横溝正史・疎開宅』

 日本を代表する推理小説の一つ、金田一耕助シリーズ。
 金田一耕助シリーズにはファンの間で岡山編と呼ばれる、岡山を舞台とした作品が幾つか存在します。

 著者である横溝正史さんが戦時中、岡山へ疎開しに訪れていた際の経験から生み出されたものであり、金田一耕助が誕生したのも岡山にいた頃の出来事でした。

疎開宅

  疎開した際に住んでおられた家は、現在の岡山県倉敷市真備町岡田(当時は岡田村)に現在でも写真の通り残されています。
 1945年、第二次世界大戦が激化していた為に、3年間程こちらへ住んでいたそうです。
 無料で公開されており、火・水・土・日曜日の間、10時から夕方4時まで誰でも見に行くことができます。

 横溝正史さんの私物や、金田一耕助のシルエットなどを楽しむことが出来ますが、それは実際に訪れてのお楽しみにしましょうか。
 近所の方の憩いの場にもなっているようで、この日はずっと奥のほうで皆さんがずっと楽しそうにお話をされていましたよ。
 『黒猫亭事件』においては、ここで横溝正史さんと金田一耕助さんが初めて会って歓談した事になっていましたね。

表札

疎開宅
  ちなみに玄関には横溝さんの名前の隣に金田一耕助の表札も掛かっています。

 非常に余談ですが、横溝正史さんの本名は『横溝正史』で、文字は同じですが筆名が『せいし』なのに対し、本名は『まさし』さんです。
 表札はどちらで読むのが正しいのでしょう?
 金田一耕助というキャラクターが誕生したのは著者の日記より、S21年4月24日であるとされています。

 まさにこの家へ滞在していた時に金田一耕助が生まれたのですね。
 すなわち、ここが金田一耕助の生まれた場所なのですから、表札が掛かっていても不思議ではない!?ですよね。

 金田一耕助は勿論、この地に住んでいる間に見聞きした田舎ならではの風習などは、後の作品に活かされています。
 戦争中は推理小説にも規制が掛かっていたと言いますが、書けない時代に負けじと存分に充電していた横溝さんの姿が思い浮かぶようですね。



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写真:上・疎開宅の外観
    下・表札
写真撮影:岡山の街角から


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