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歌わない笛 舞台探訪


 内田康夫の浅見光彦シリーズの「歌わない笛」は津山市をメインの舞台に、岡山市と倉敷市が登場する作品です。

 ヒロインは高千穂伝説殺人事件でも登場したヴァイオリニストの本沢千恵子です。
 作中に登場する岡山弁の監修は岡山弁協会の会長・青山 融さんです。
 尚、本文中に多少のネタバレを含みます。犯人の名前やトリックは記載しませんが、これから読む予定という方はこの先を読まないように願いします。

目次
本沢千恵子編
津山音楽大学のモデル 岡山駅~津山駅 津山音楽大学にて 津山市と千恵子 お多福旅館 遺体発見場所① 遺体発見場所②
浅見光彦編
新倉敷駅~玉島警察署 津山音楽大学 第二の被害者宅~鶴山公園~津山国際ホテル 奉還町~国富 警察に捕まる~エンディング その他


本沢千恵子編

 この作品はヒロインの千恵子と浅見光彦が前半と後半でそれぞれ別々に行動をしています。
 なのでまずは先に事件に遭遇した千恵子編から紹介していきます。

津山音楽大学


 千恵子は津山市の音楽大学で行われるコンサートの為に岡山駅から津山市へ向かいました。

 コンサートが開催されたのは「津山音楽大学」。
 モデルになっているのは倉敷市のくらしき作陽大学です。
 元々は津山にあった大学で、作品も津山時代の大学を舞台としています。当時の学校名は作陽音楽大学です。
 
 作中では移転が迫っていているのに倉敷の新校地で工事が進んでいないことを心配する描写があるので、時期は1995年~1996年くらいでしょうか。

岡山駅~津山駅


岡山駅
 千恵子が岡山駅から津山駅へ向かうシーンから作品は始まります
 向かったホームの番号は「16番」、乗ったのは急行砂丘6号です。
 乗車したのはグリーン車。千恵子が順調に有名になっている事が判りますね。

 時間に追われている様子なので、今回の行程で岡山駅周辺を楽しむことはなかったのでしょう。

 砂丘は現在の急行いなばの前身で、岡山駅~鳥取駅間を運行します。砂丘のデータを掲載するWEBサイトの急行「砂丘」記念館によると、6号の岡山駅から津山までの停車駅は岡山~福渡~津山です。
津山駅
 津山駅ではプラカード付きの歓迎を受けた千恵子。
 後に浅見光彦は「あんなちっぽけな駅」と表現しましたが、確かに余り広くない津山駅の前でプラカードは目立った事でしょう。

津山音楽大学と千恵子


 千恵子の津山音楽大学の印象は、「ずいぶん辺鄙な場所に音大があるのね」です。
 これは砂丘内で抱いた感想です。岡山市の中心部から離れて山間部を抜けて行くので、当然といえば当然でしょう。
 実際に訪れた津山音楽大学の環境については気に入っている様子です。
 演奏をしたのは敷地内にある聖徳殿です。

 大学にはレンガ壁の校舎という描写があります。
 私は津山時代の作陽大学の校舎を見たことがありませんが、高校の校舎と似たようなデザインだったのではないかと推測して高校の建物の写真を貼り付けておきます。
 尚、この校舎はレンガではなく煉瓦色です。

作陽高校
 作陽高校も2023年4月から大学と同じ倉敷市玉島地域へ移転します。
 
 千恵子も大学移転の話題を聞いています。
 現地に人の意見としては、倉敷市による作陽大学の誘致について「倉敷のやり方が札束で横面を張るみたいにえげつない」とあります。
 これについてはくらしき作陽大学が作成している大学の移転についての資料に詳しく掲載されています。本作の事件の内容に関わる部分なので解説しますが、長くなるので「舞台だけみたいよ!」という人は、飛ばして次の項目へ移って下さい。
 下記の解説は小説の設定ではなく、実際の大学の移転についてです。


 倉敷へ作陽音楽大学を誘致をしたのは選挙公約に大学誘致を掲げた倉敷市長の渡辺行雄氏です。しかしそれ以前に大学側でも岡山市東区矢津に土地を購入するなど、移転へ向けた動きは進められていました。

 これは作品中にも出てくる通りアクセスであったり、人口の問題によるものです。
 岡山県は人口が南部に集中しています。県北部は津山市の人口約10万人が最大の都市なのに対し、南部は岡山市と倉敷市だけでも人口120万人と、かなりの差があります。

 倉敷市から出された条件は約5万坪の校地の提供、そして50億円の補助金です。
 倉敷の話があろうとなかろうと移転していたのも事実ですが、津山の人が「札束で横面を張る」と表現するのも頷ける好条件です。
 ちなみに作品中では期間が明記されずに急な移転とされていますが、実際の移転も三年数ヶ月という短期間で一気に進められました。

津山市と千恵子


 コンサート後に千恵子は多少ですが津山の町並みを見ています。鶴山公園(津山城址)は遠くから石垣を見ただけのようです。

鶴山公園(津山城址)
 大学やホテルから見たのであれば、このような感じだったのではないでしょうか。
 ただし備中櫓(写真中央辺りの櫓)が完成したのは2005年。千恵子が見た風景は石垣のみでした。

 宿泊先は津山国際ホテルの7F。現在は移転新築してシロヤマテラス津山別邸と名前を変えています。
 旧ホテルは取り壊されましたが、ストリートビューで確認できます。

 受験生の利用の需要が大きいという話を事前に聞いていた千恵子は、フロントの従業員について「フロントの顔色も冴えないような気がしてくる」と感じました。
 ホテルからは津山音楽大学が見え、これは実際の立地通りです。

 ちなみに津山に訪れる前には、父親から児島高徳の伝説に関連して「船坂山や杉坂と 御後慕いて院の庄」という歌を聞いています。
 これは1910年~1944年まで文部省の作る音楽の教科書に掲載されていた文部省唱歌の一つで、タイトルそのまま児島高徳です。


 児島高徳は岡山出身の武将で、特に後醍醐天皇の忠臣としてしられます。
 天皇が隠岐に流される途中で救出しようと計画を立てますが、一行の進行具合が予想以上に早く失敗に終わります。
 高徳は天皇がいる院庄までいき、天皇に救出を誓うメッセージ(白桜十字詩)を残しました。この事が高く評価され、戦前の日本では英雄視されていました。

お多福旅館


 コンサートの打ち上げの食事会は津山市の市内随一とされる料亭で行われました。
 ここは千恵子の気分を害する出来事があった為か、料亭名は出てこず、特定できるような情報も示されていません。

 余りに早く料亭を出た千恵子に対し、車で送迎をしていた大学関係者の戸川が食べ直しに連れて行ったのはお多福旅館です。
 こちらはそのままの名前で実在します。
 名前の通り旅館ですが、食事のみの利用も可能です。
 千恵子たちが食べたきじ鍋も「けんけん鍋」の名前で提供されている実在のメニューです。  
 けんけん鍋は津山藩主初代藩主・森忠政お気に入りの狩場料理に由来するとされ、津山市の郷土料理です。

 ちなみに夜の津山についての印象は「津山の夜は早く、暗い」でした。

第一被害者の死体発見場所


 名前は伏せます。一番最初の被害者が見つかったのは倉敷市玉島地域です。
 場所は大学の建設予定地なので、現在のくらしき作陽大学の校地です。
 百々(どうどう)は倉敷市玉島長尾の地名で、川の流れる音から生じたました。決して多くはありませんが、同様の由来で百々の地名は全国各地で見られます。
 岡山の県南部は温暖な気候で、滅多に積雪がない地域です。遺体が埋もれるくらいの積雪となると、作品中の「25年ぶりの大雪」どころではありません。

第二の被害者の死体発見場所


 第二の被害者も名前は伏せます。

 発見場所は津山音楽大学近くのごんご淵です。
 これは実際には覗き渕と呼ばれている吉井川の湾曲部の事です。ごんごは津山周辺の方言でカッパの意味があります。
 覗き淵にカッパが住んでいるという伝承があり、それが津山市街地でごんごという言葉や、カッパの像が多く見られる理由です。
 場所は下の地図の湾曲部です。
 しかし作中では津山音楽大学の北棟から川を見るという形で発見されているので、実際は湾曲部から少し西側のまっすぐ流れている辺りかも知れません。

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浅見光彦編

 第二の事件の発生を受けて、千恵子から事情を聞いて岡山へ発った光彦。
 旅費は当初は自腹、途中から雑誌の取材を兼ねる事で自己負担を避けました。
 尚、千恵子編との重複部はなるべく除いて紹介します。

新倉敷~玉島警察署


 東京から新幹線で岡山へ向かった光彦は最初に第一の被害者の遺体発見場所に近い新倉敷駅で下車します。
 私は1990年代半ば頃の新倉敷駅周辺をよく知らないのですが、内田康夫先生は「(新幹線駅が出来て)その内に周辺が発達するだろうという目論見は、これまでのところ外れているようだ」と描写しています。
 光彦も警察へ向かうタクシーで国道2号のバイパスの工事が橋脚部のみで工事が止まっていることについて、「10年もほっぽりっぱなし」と聞かされています。
 描写のニュアンスから察するに、今よりも栄えていなかったのでしょう。

 警察では第一の被害者の自殺現場の近くに職業訓練学校があり、特徴的な服装をしていたので生徒が目撃していた事が判明します。
 これは中国能力開発大学校(通称・中国能開大)の事です。

津山音楽大学


 続いて津山に移動し、津山音楽大学に取材に行きます。
 そこでは移転の反対についての話題などが出ています。

 移転の影響が出る対象として、アパート、商店、そして受験などで多くの利用者が見込めるホテル・旅館が挙げられています。
 直接の関係は不明ですが、作陽音楽大学跡の周辺には既に廃墟となったアパートの建物があり、隣接する津山プラザホテルも大学の移転後に閉鎖しています。
廃アパート
 学生向けに商売をしていたのが、急に学校がなくなれば影響は免れません。
 しかしくらしき作陽大学の資料によると、アパート関係の反対は大学側の予想に反して少なく、市や商工会が主だった反対派の面々だったそうです。
 作品中では年に100億の波及効果があると市が試算を出したとあります。

津山プラザホテル
 しかし反対をされても「私学の生きる道は私学自身で模索しなければならない」という大学側の姿勢は、作中のセリフというよりも、取材に行った内田康夫先生が聞いてきた発言ではないかと感じました。

第二の被害者宅~鶴山公園~津山国際ホテル


 光彦は千恵子も訪れたお多福旅館へ訪問、第二の被害者の自宅を確認して訪問します。
 津山市東新町、旧出雲街道に広がる城東町並み保存地区にある旧家です。

城東町並み保存地区

 更に被害者がデートに行ったことがあるという鶴山公園にも訪問しています。
 千恵子編でも触れましたが、公園は津山城跡に整備されています。

津山城跡

 城は明治時代の廃城令で取り壊され、石垣のみが残されています。
 扇の勾配と呼ばれる美しい曲線を描いた積み方が特徴的で、春になると桜の名所としても賑わいます。
 光彦は冬に訪問しているので、恐らく写真通りの風景を見たのではないでしょうか。
 そして事件の関係者と思われる人物が第二の被害者が見つかったごんご淵の辺りを見ている様子を目撃します。

津山城から見たごんご淵方面

 写真右側の森のような場所が津山音楽大学付近で、見えづらいですがその下が吉井川が湾曲する辺り…、つまりごんご淵です。

 光彦の宿泊先は千恵子と同じ津山国際ホテルです。
 ちなみに光彦はこの時点では自費です。
 なのでホテルの宿泊費が東京と比べて随分と安いことを非常に喜び、ホテルでカレーまで食べています。

奉還町~国富


 続いて第一の被害者の実家がある岡山市北区奉還町に移動します。
 コンビニを2店経営している家で、本店の裏が自宅です。アーケード街と紹介されているので、家があるのも恐らく2~3丁目でしょう。

奉還町商店街
 奉還町については「近代化が遅れている」、「その代わり昔の面影もそのままの(中略)風情のある街だ」という2つの評価がされています。
 恐らく作品発表当時の奉還町の評価はその通りだったのだと思います。昭和レトロな商店街の佇まいを売りにするのは、もう少し後になってからです。
 
 奉還町に続いて訪れるのは岡山市中区国富です。
 岡山城の旧城下町に位置する住宅密集地です。光彦は事件の調査のために第一の被害者の足取りを追ってきていますが、やはり住宅地の中のようです
 バス停が近くにある事と、余り土地勘がない筈の光彦が最初の訪問後に物思いにふけりながら歩いて岡山城まで行っていることを考えると、国富の中でも西側だったのではないでしょうか。

 この辺りが一応候補ということで紹介しておきます。
 ルートは恐らく相生橋経由で岡山城でしょう。

 岡山城では公衆電話を利用しています。
 赤い自販機の横に緑の公衆電話があり、天守閣を仰ぎ見られる場所。残念ながら公衆電話は当時と比べて数が激減していて城の周辺にありません。
 天守閣の辺りで観光客を見て、木戸を出て土産物店の赤い自販機の横にある緑の公衆電話に辿り着いています。
 土産物店があるということは、恐らく出た木戸は天守閣への入り口にある廊下門ではないかと思いますが、土産物店がありません。
 当時はあったのかも知れませんが、個人的にはこの辺りの描写には後楽園の入口付近が混じっているような印象を受けました。

警察に捕まる~エンディング


 浅見光彦シリーズでは定番の警察に掴まって留置場に…という流れは本作でもあります。
 定型で正体がバレて媚を売られるシーンになりますが、この時に警察側から成果のアピールのために「玉野の殺人死体遺棄事件の早期解決」というセリフがあります。玉野は岡山県の南部にある市です。
 これが実際の事件なのかどうかは不明です。

 釈放されて警察の経費で宿泊することになるのは岡山プラザホテル

 いわゆるシティホテルです。
 刑事局長の弟と判って用意するにはややリーズナブルかも知れませんが、旭川を挟んで岡山後楽園の真正面という贅沢なロケーションです。
 このホテルを選んだ事を考えると、光彦が留置場に入れたのはホテルのすぐそばにある当時の岡山東警察署、現在の岡山中央警察署でしょうか。

その他


 ここまでで作品中に登場する岡山の場面は終了です。
 長くなってしまいましたが、お付き合い頂いた方は有難うございます。

 冒頭でも書きましたが、この作品の岡山弁や岡山の風物のチェックを行ったのは青山 融さんです。
 作品末尾の自作解説でそのエピソードが紹介されています。
 他の作品で方言の誤りについての指摘があったそうです。そこで立ち上げたばかりのファンクラブ・浅見光彦倶楽部(現・浅見光彦 友の会)の会員の岡山県民である青山さんに頼んだそうです。

 事件のキーとなるもう一つの大学設立は、特に確証はないものの倉敷芸術科学大学をモデルにしているのではないかと思います。
 芸術と言っても音楽ではなくデザイン、メディアとやや新しいジャンルの学部を有し、作陽音楽大学の移転よりも先の1995年に開学しています。
 今回の事件がこの学校の存在から着想したというのは有り得そうです。
 
 もう一つよざんごとで、岡山県とは関係のないエピソードを。
 本作のヒロインである本沢千恵子には二人のモデルがいるそうです。
 一人はピアノ教師の女性。主な設定は彼女や彼女の指定した内容に基づくようです。
 そしてもう一人は内田康夫先生の奥様早坂真紀さん。楽器はフルートを嗜むそうです。実はモデルになった二人ともがバイオリニストではありません。

 シリーズ中でも珍しいヒロインの二度目の登板があったのは、奥様への愛情の現れだったのかもしれませんね。


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関連リンク


写真:小説の表紙


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