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失われた城山
城山
無くなった理由:切り崩された
所在地:倉敷市本町(倉敷アイビースクエア周辺)
期間:1888年頃、工事により消滅
城山
倉敷アイビースクエアのの場所には、かつて城山という高い丘がありました。
10世紀頃に倉敷城が築かれた事が城山の名前の由来です。
江戸時代に入ると陣屋や代官所が置かれ、明治時代に入ると廃藩置県後で誕生した倉敷県の県庁になりました。
しかし1888年に倉敷紡績の事業所を建築する用地として丘は切り崩され、現在は平地になっています。
現在は丘があった痕跡は見当たりませんが、倉敷城時代からある城山稲荷神社の名前のみが城山の存在を今に伝えています。
倉敷城とは
倉敷城は10世紀の中頃に起こった藤原純友の乱を鎮圧するために下向してきた小野氏が拠点として築きました。
その為に小野ケ城の呼称も知られています。
城山稲荷神社の案内板によると、城というより砦のような規模だったようです。
江戸時代には廃城になっており、前述の通り陣屋、代官所が築かれました。
明治時代になると1868年~1871年まで倉敷県の県庁が置かれました。
倉敷県が小田県と統合し、県庁は現在の笠岡市に置かれたので倉敷県庁の方は使用されずに放置されました。
その後は前述の通り倉敷紡績の事業用地となった為に切り崩されており、倉敷城時代の遺構などは何も残されていません。
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関連リンク
写真:倉敷アイビースクエア
写真提供:岡山県