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美和神社(長船町福里)

詳細

主祭神:大物主命
所在地:瀬戸内市長船町福里341
駐車場:有り

2つの美和神社


 瀬戸内市長船町には、「美和神社」という神社が2つ存在することをご存じでしょうか?
 今回ご紹介するのはその内の一つ、長船町福里に鎮座する美和神社です。

 この神社は奈良県にある日本最古級の神社「大神(おおみわ)神社」からご祭神を勧請(かんじょう)されたと伝えられています。
 もう1つの美和神社(長船町土師)から分祀されたという説もあり、起源には複数の伝承が残されています

 どちらの伝承が正しいにせよ、共通しているのは「大神神社を信仰の源とする神社」であるということです。
 大神神社といえば、大物主大神を祀る山そのものを神とする神社として知られます。これは全国の“美和神社”の元となった神社でもあります。

 つまりこの地にある2つの美和神社は、どちらも古くから続く大神神社の流れを継ぐ存在だと言えるでしょう。
 小さな集落の中に静かに佇む福里の美和神社は、地元の人々にとって特別な存在であり、地域の歴史と信仰の記憶を今に伝える社です。

「同じ名前の神社が近くに2つあるなんて珍しいな」と思った方、ぜひ現地を訪れて、それぞれの空気感や違いを感じてみてはいかがでしょうか

再興の廃祀と再興の歴史


 美和神社には一度その歴史が途絶えた時期がありました。
 時は江戸時代の1666年(寛文6年)。岡山藩主・池田光政によって「寺社整理令」が実施されました。

 この政策により、藩内にあった寺院のおよそ半数が廃絶されます。更に1万を超える神社が廃祀され、新たに設けられた「寄宮」に合祀されました。
 美和神社もこの対象となり、寄宮へと合祀され、神社帳からも削除されてしまいました

 しかし、それでも地元の人々の信仰心が途絶える事はありませんでした。
 公式には廃社となった後も、福里の地では美和神社を敬い続けたのです。
およそ80年ものあいだ、再興の機会を静かに待ち続けたといいます。

 そして迎えた1747年(延享4年)、状況が動きます。
 当時の藩主である池田継政は、神仏への信仰に篤く、藩内での廃社の再興に積極的だった人物でした。
 地元からの再建の願いを受けた継政は、それを認め、1749年(寛延2年)に美和神社の再興が正式に許可されたのです。

 信仰の灯火を絶やさなかった地域の人々の想いが、かつての政策を越えて神社をよみがえらせた瞬間でした。

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写真:田倉牛神社
写真提供:岡山県観光連盟

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