『高梁と水戸黄門の危険な関係!?』
水戸黄門と高梁
昔の新聞記事に、水戸黄門と高梁市について興味深い記載があります。
それは水戸黄門の映画を高梁市で上映するにあたって、かつて備中松山藩の藩主だった水谷勝美の墓前において追弔会が催されたというものです。
どうして水戸黄門の上映で水谷勝美の追弔会が開催されたのでしょう。
実は当時の高梁市には水戸黄門に関する興行を行うと災いが起こると言うジンクスがありました。
歌舞伎が上演されれば劇場が火災に遭い、映画を上映すれば映画館も全焼してしまったというのですから穏やかではありません。
追弔会はこれらの出来事が続かないようにと行われたのです。
水谷勝美と水戸黄門
しかしどうして水谷勝美の墓前での追弔会なのでしょう?
実は水谷勝美が災いの原因として考えられていたのです。
生前に水谷勝美と水戸黄門の徳川光圀の間には何かしらの怨恨が存在していたのだそうです。
その為、高梁の地で徳川光圀の活躍を描く水戸黄門の興行が行われる事を快く思わず、数々の災いを引き起こしたと考えたのです。
後にテレビで水戸黄門の放送が始まった時には災いは起こっていないようなので、水谷勝美の怨恨も追弔会どうにか落ち着いたのかも知れませんね。
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画像:『三人組』
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