『打倒・山陽新聞! 吉備日日新聞』
打倒、山陽新聞! 吉備日日新聞
かつて岡山県内で吉備日日新聞という新聞が発行されていました。
当時の岡山県令、高崎五六は、新聞を県の機関紙のように利用しようと考えていました。しかしこの要望を山陽新報(現在の山陽新聞)が拒否したことから、高崎県令は山陽新報に対し、様々な形での弾圧を開始します。
その弾圧の目的の一つとして作られたのが、この「吉備日日新聞」でした。
高崎県令は、県の職員に吉備日日新聞の購読を強制するなど、強硬な手段に出ます。これにより、山陽新報は大打撃を受け、その発行部数は壊滅的な数字にまで落ち込みました。
勝負の行方
県令という強力な後ろ盾を持った吉備日日新聞は次々に発行部数を伸ばし、一方の山陽新報は、なんと部数がわずか80部という、まさに壊滅的な状況に追い込まれました。
しかしこの激しい部数争いの勝負は、仕掛け人である高崎五六自身の転任によって、あっけなく終結します。
1884年の高崎県令の転任により、吉備日日新聞の購読を強制する圧力がなくなり、山陽新報の発行部数は徐々に回復していきました。
逆に、強力な後ろ盾を失った吉備日日新聞は、高崎五六の転任から約2年程度で廃刊となり、その短い歴史に幕を閉じたのです。
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画像:『新聞』

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