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『牛窓沖・女王丸遭難事故』
女王丸遭難事故
1948年、岡山県の牛窓沖で発生した「女王丸沈没事故」は、戦後の日本に大きな衝撃を与えた海難事故のひとつです。乗員・乗客合わせて300人以上が乗船していた女王丸が、突如として海に沈み、183人もの尊い命が失われました。
女王丸はどんな船だったのか?
女王丸は大阪と香川県多度津を結ぶ定期航路を運航していた旅客船です。運行していたのは商船三井系の関西汽船です。定員366名、長さは約49mという大きな船でした。
瀬戸内海は重要な交通網のひとつであり、女王丸だけではなく多くの人々が船を利用して移動していました。
沈没の原因は「戦争の置き土産」だった
この事故の原因は天候不良や操縦ミスではなく、戦時中に米軍のB29爆撃機によって敷設された「海中機雷」に接触したことによるものでした。戦後しばらく経った時期でも、海中には撤去しきれない危険な機雷が多く残されており、女王丸もその犠牲となってしまったのです。
この海域ではこの他にも機雷との接触による事故が発生しており、戦争の置き土産は終戦後も人々の生活を脅かしていました。
多くの死者・行方不明者を出した未曽有の惨事
事故当時、女王丸には300人を超える乗員・乗客が乗っており、そのうち183人が死亡または行方不明とされました。
岡山県史によると収容された遺体は20体、他が行方不明とされています。被害者数に関しては資料によってブレがありますが、概ねこれに近い数字が挙げられています。
女王丸遭難事故は戦後最大級の民間船沈没事故として記録され、今なお語り継がれる事になりました。
当時の状況
1945年に終戦を迎えた後、機雷の回収は行われていました。
しかし作業は主要な港を優先していました。
牛窓周辺はまだ作業が行われておらず、終戦から数年が経った事件当時でも機雷が残されていたのです。
航行する船舶への警報は出されていたものの、女王丸のように機雷に接触してしまう事故が発生していました。
そうした状況を知らされていなかった県民にとっては、まだ身近に機雷が残されている事実は驚きを持って受け止められました。
本蓮寺

女王丸遭難事故に関連するスポットに瀬戸内市牛窓町の本蓮寺があります。
沈没現場を見下ろす高台にある寺院です。
ここは事件の際に遺体が安置された場所です。
境内には事故で犠牲になった方々の為の慰霊碑があり、また事故の起こった1月28日には法要が営まれています。
法要には今でも犠牲者の遺族や、事故を知る人々が訪れて犠牲者に祈りを捧げていくそうです。
関連リンク
写真:上・本蓮寺から見た事故現場周辺、下・本蓮寺社殿
写真提供:岡山県
