TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>33.旧制六高を巡る殴り合い
『旧制六高誘致を巡る殴り合い事件』
旧制六高とは
岡山県の近代史に様々な形で登場六高マンと呼ばれる若者がいます。
これは現在の岡山大学の前身の一つである、旧制高校の第六高等学校の生徒の愛称です。
岡山駅前にマントを羽織った学生の像(※青春感謝と書かれた像)があるので、それで知っているという方も少なくないのではないでしょうか。
当時の岡山県の若者文化を象徴する存在で、例えば岡山が発祥のかき氷のミルク金時は、六高マンの思いつきから誕生したメニューです。
創立は1900年で、旧制高等学校としては早い時期に創立されたナンバースクールと呼ばれたエリート養成学校の一つです。
財界、政界などに多くの卒業生がいます。
誘致合戦と殴り合い
学校の誘致は当然、他県との熾烈な誘致合戦が起こっています。
岡山県も広島県との誘致合戦が行われました。
その中でもよく知られているのが、岡山県選出の衆議院・石黒涵一郎と、広島県選出で同じく衆議院議員の井上角五郎が殴り合いになった事件です。
誘致運動が加熱しすぎた為の出来事で、当時の両県の誘致にかける熱意が伝わるエピソードです。
六高の校地は現在の岡山朝日高校の場所で、敷地内には幾らかの建造物が現存しており、柔道場は現役で使用されています。
当時の資料などを展示した六高記念館も作られています。
関連リンク
写真:岡山朝日高校
写真提供:Googleマップ