TOP>コラム>コラム・岡山の事件簿>41.浪人一揆

『未遂に終わった浪人一揆』
浪人一揆とは
1603年に小早川秀秋が子供を儲けないまま早世した為、小早川家は無嗣改易されて美作国へ森 忠政が転封する事になりました。
この時に後に浪人一揆と呼ばれるようになる一揆の計画がありました。
計画の中心になったのは宇喜多家や小早川家の旧家臣、浪人となった人々です。
森家が美作国へ入るのを阻止して、話し合いを求めるであろう森家から自分たちの身分の保証を引き出す事が目的でした。
しかし事前に情報を得ていた森家は、一揆のメンバーから協力者を得ていました。
そしてその案内で無事に美作国へ入る事に成功しました。
一揆を起こしたメンバーの中には一揆の動きが自分たちの身分の保証どころか幕府に背く事になるのではないかという懸念を持つ者が少なくなく、森家の入国が判ると早々に降伏する離脱者が続出しました。
そして一揆はほぼ未遂という形で終わってしまいました。
その後
一揆に加担したメンバーの中でも早い段階で森家に協力した人々は、森家へ士官することや、それに相当する身分が与えられました。
後から投降した人々に対しては帰農は命じられたものの。これといったお咎めはなかったそうです。
それどころか大庄屋などまずまずの立場が与えられました。
森 忠政はこの一揆の動きが再燃する事に用心していたようで、強く罰するよりも懐柔する方を選んだのです。
大阪の陣の際にも自分の留守中に何事か無いようにと彼らを従軍させていました。
関連リンク
写真:浪人のイメージ図
写真提供:イラストAC
