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消えた吉備津神社の三重塔の真相
吉備津神社の三重塔
かつて日本中で行われていた神仏習合。
日本の神道と仏教を融合させた思想で、宗教施設では神社と寺が同居するような形態を取っていました。
岡山市の吉備津神社でも神仏習合の時代がありました。
その時代には仏教の施設である三重塔が建てられていた事も確認されています。
現在は失われており、心礎のみが残されています。
どうして無くなった?
前述の通り吉備津神社の三重塔は現存しません。
ではどうして無くなったのでしょう?
よく聞くのは火災で焼失し、再建されなかったというパターンです。
しかし吉備津神社の三重塔はもっと複雑な事情で1732年に取り壊されました。
表向きの理由は老朽化のためです。
実際は吉備津神社の中で神社と寺院の関係が悪く、権力抗争の末に寺院側の塔が破壊されるに至ったのです。
もちろん寺院側も老朽化という理由に納得はせず、寺社奉行に訴え出た為に何年も係争が続きました。
最終的に神社側の勝訴となり、吉備津神社の神仏分離が進む契機になりました。
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写真:吉備津神社