『岡山空襲の被害2:失われた文化財』
戦争によって失われたのは人命だけではありません。
貴重な文化財も多く失われました。
焼失した主な建造物
戦災で最も大きな被害は岡山城でしょう。
現在の岡山城は重要文化財に指定されているのは月見櫓と西の丸の西手櫓のみで、後は城跡全体で『史跡』とされています。
かつてはこの他に天守閣、石山門も指定されていました。
(※旧・国宝保存法指定の国宝で、現在の文化財保護法施行に際し、旧・国宝は重要文化財へ置き換えられた)
しかし空襲の際にどちらも焼失、現在の天守閣は戦後に再建されたものです。
また岡山城のすぐ後ろに広がる後楽園も被害を受け、延養亭などの貴重な建造物が焼失してしまいました。(※現在の延養亭も、再建されたもの。)
また現在まで続く教育県・岡山の礎とも言える日本最古の藩校だった岡山藩藩学の建物もこの空襲の際に焼失しています。 (※現在の岡山中央中学校所在地)
現在まで残る傷跡
この他にも空襲を受けた寺社が持っていた文化財も失われたり、傷つくなどしており、現在でも市街地の寺社では灯篭などの建造物に残された傷を確認することが出来ます。
文豪の夏目漱石が岡山で洪水の被害に遭った際に避難したというエピソードのある屋敷も焼失しています。
この屋敷では寝泊りしていた部屋を保管していたそうで、もしも現存していれば多くの文学愛好家が訪れる貴重なスポットになっていたかもしれません。
戦争によって失われるのは人命だけではなく、それまで人々が築いてきた歴史や思い出さえも同時に喪失させてしまうのです。
写真:『焼失した旧岡山城、岡山城の案内板より』
撮影:岡山の街角から

目 次
|
---|
![]() ![]()
![]() ![]() |

-戻る-