TOPコラム瀬戸大橋物語「橋のある未来」の功罪

宇高国道フェリー

瀬戸大橋開通がもたらした「橋のある未来」の功罪

橋のライバル:生き残りをかけたフェリー

※下記の内容は執筆時の2009年の状況です。2025年現在、宇高航路を運航するフェリーは無くなってしまいましたが、記事は当時のまま残しています。

 瀬戸大橋の開通は、多くの人々の期待通り、生活に大きな変化をもたらしました。しかし、その誕生により、それまで主役だった交通手段の一部は役割を終えることになります。

  •  宇高連絡船(JR四国)は瀬戸大橋開通の前日をもって、その役目を終え、引退しました。

 一方で宇高航路の全てがなくなったわけではありません。かつて、紫雲丸事故などで「船の危険性」から橋の完成が望まれましたが、実際には強風などによる交通規制は、船よりも橋の方が早くかかるという側面があります。

 このため民間のフェリー会社は乗客の減少と戦いながら、現在も宇高航路を続けています。航行の安定性という点で、フェリーは今も瀬戸大橋と四国への玄関口を競い合う良きライバルであり続けているのです。

過ぎ去りし者:廃線となった下津井電鉄

 瀬戸大橋開通によるJR瀬戸大橋線の誕生は、地域の交通網にも影響を与えました。その影響を最も強く受けたのが、下津井電鉄です。

下津井駅跡

 開通当時、すでに電鉄の路線は赤字で、会社はバス事業に軸足を移していました。瀬戸大橋開通による観光客増加の期待から、電車の増設などの対策を打ちましたが、結果は厳しく、以下の要因が重なりました。

  1. ・瀬戸大橋線がもたらした利便性が、下津井電鉄のバス部門にも影響を及ぼした。

  2. ・瀬戸大橋の全景が見えるのは鷲羽山駅周辺のみで、観光需要を十分に拾い上げることができなかった。

 その結果、瀬戸大橋の登場からわずか1年8ヶ月で、下津井電鉄はその歴史に幕を下ろし、全線廃止となってしまいました。

 瀬戸大橋の完成は、多くのものが生まれ、また多くのものが消えていくという、変わりゆく町の風景を生み出しました。私たちが選んだ「橋のある未来」は、手放しで喜べるものばかりではありませんでしたが、世界に誇れる建造物を前に、その功罪を胸に刻み、未来へつなげていく責任が私たちにはあります。


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写真:宇高国道フェリー、下津井駅跡
写真撮影:岡山の街角から

最終更新日:2025.9.18


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