TOP>コラム>倉敷にチボリ公園があった頃>3.チボリ公園とは
本家・デンマークの「チボリ公園」とは?世界が愛する聖地の歴史
倉敷チボリ公園を語る上で欠かせないのが、デンマークの首都コペンハーゲンにある本家「チボリ公園(Tivoli Gardens)」の存在です。 なぜ、地方都市である倉敷にこれほど本格的な北欧の風景が持ち込まれたのか。その理由は、本家が持つ「世界最高峰の歴史と格調」にあります。
1843年開園、世界最古のテーマパーク
チボリ公園は1843年に誕生しました。日本でいえば江戸時代、天保の改革が行われていた頃から続く、非常に長い歴史を持つ公園です。その成り立ちは、当時のデンマーク国王クリスチャン8世の臣下、ゲオ・カーステンセンの情熱から始まりました。
・誕生の背景:当時のデンマークは敗戦による不況の真っ只中。国民の心は荒んでいました。
・国王への進言:カーステンセンは「国民が娯楽に興じている間は、政治に不満を抱かない」と国王を説得。 人々に笑顔を取り戻すための場所として、国から土地を借り受け開園にこぎつけました。
世界最古のテーマパークは政治的な目的で作られたのです。
ウォルト・ディズニーが愛した「魔法の場所」
チボリ公園について、意外と知られていないのが、あのウォルト・ディズニーとの関係です。
ウォルトはディズニーランドを建設する際、世界中の遊園地を視察しましたが、最も感銘を受けたのがこのチボリ公園だったと言われています。
「清潔で、家族連れが安心して楽しめ、夜には魔法のようなライトアップに包まれる」
そんなチボリのコンセプトが、後のディズニーランドの原型となりました。
まさに現在のディズニーランドそのものです。
倉敷チボリ公園が継承したもの
倉敷チボリ公園が他のテーマパークと一線を画していたのは、単にアトラクションを並べるのではなく、本家の「大人の社交場」としてのノウハウを輸入したからです。
倉敷チボリは早すぎた、もう少し後の時代まで残ればスローライフの波に乗れたのではないか。…閉園後にそのような声がありました。確かに、倉敷チボリ公園には絶叫マシーンで騒ぐ以上の価値観がありました。
・絶叫マシンに頼らない演出:自然豊かな庭園、本格的な劇場、落ち着いたレストラン。
・夜の魔法:本家譲りの豪華なライトアップ。夜になると雰囲気が一変する演出は、まさにコペンハーゲンのスタイルそのものでした。
ただし本家から受け継がなかった部分もあります。
・営業スタイルの違い:本家は日照時間の短い北欧の事情に合わせ、4月〜9月(+イベント期)のみ営業するという独特のスタイルですが、倉敷では日本に合わせて通年営業の形がとられました。
アンデルセンが歩き、ウォルト・ディズニーが夢を見た。そんな場所の「精神」が、かつての倉敷駅前には確かに息づいていたのです。
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写真:上『倉敷チボリ公園内の様子』
下『チボリ公園の創業者、ゲオ・カーステンセンの像』
写真提供:上・岡山県、下・プランク様
最終更新日:2026.1.24

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写真:倉敷駅から見たチボリ公園
写真提供:岡山県

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