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岡山チボリ公園建設予定地周辺

前史・岡山チボリ公園

岡山チボリ公園計画


 岡山県にチボリ公園を誘致するという計画は、そもそも岡山市の市制100周年(1989年で100周年)の記念事業として出てきたものです。
 なので当初の建設予定地は岡山市で、【岡山チボリ公園】の計画でした。

 『岡山チボリ公園』の構想が発表されたのは1986年です。
 1987年には本家のチボリ公園の運営会社である『チボリインターナショナル』社との契約も締結し、旧国鉄の岡山操車場跡地を利用して計画が進められる予定になっていました。

 その後、1990年に岡山県と岡山市が出資する第三セクターの『チボリ・ジャパン株式会社』が設立され、操車場跡地を公園の用地とした都市計画も決定されるなど着々と準備が進められていました。

計画の頓挫~倉敷へ


 しかし事業が進展するにつれて岡山市民の間でチボリ・ジャパン社及び岡山チボリ公園の事業へ対する不信感が出てきていました。

 その背景には、チボリ公園の誘致を行った際に使用された費用や、コンサルティング会社へ支払われた約8億円とも言われる高額な報酬について岡山市議会、岡山市民に事前に知らされていなかった事など、不透明な点が見られた事が挙げられます。

 岡山市長だった松本 一は市民に岡山チボリ公園の是非を問うために、市長職を辞任して出直し選挙を実施しました。
 選挙の結果、チボリからの撤退を表明した新人の安宅敬祐が当選し、岡山市は正式にチボリ公園事業からの撤退を表明するに至りました。

県の事業への転換


 しかし岡山市が計画から撤退した後も、岡山県は事業を諦めませんでした。
 新たに倉敷へ用地を確保して、倉敷チボリ公園を完成させることになります。

 公園の工事に入る前年には、民間から中核企業としてチボリ公園の事業に参加していた阪急電鉄が採算性に疑問を呈して撤退してしまいます。
 公園が出来る倉敷市も助成金を出したのみで事業へ参加はしなかった為、最終的に倉敷チボリ公園は岡山県の単独事業として進めていく事になりました。

 岡山チボリ公園の用地となるはずだった場所は上記の周辺で、現在は岡山ドームなどが建設されている辺りです。


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写真:『岡山チボリ公園建設予定地だった岡山ドーム周辺』
写真提供:プランク


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