優しく、厳しい城主との出会い
城主の伝言
備中松山城を上がっていく行程には、ちょっと面白い気配りが用意されています。
それが左の写真のような『城主』からのメッセージボードです。
行く先々にちょっとしたお言葉が記入されていて、面白いです。
この看板がスタート地点の駐車場付近にあるもので、Y字路になっている所へ、
『松山城へは
右手の道を進むべし』
と、道案内の札として立っています。
この後の行程でも進むに連れて色々なメッセージを送って頂けるので、これを楽しみながら登っていきましょう。
城への登山道
城の標高は420mもあるので、道の傾斜もなかなか馬鹿にできません。
写真のように道は整備されていますが、さすが山全体で要塞のような作りになっていたというだけの事はあります。
まさに難攻不落を絵に描いたような山城…かと思いきや、備中松山城は『備中兵乱』(備中の三村氏と毛利氏の争い)の際に毛利方の小早川隆景の兵糧攻めによって落とされているので不落と言うわけではないそうです。
観光客にもそうそう攻め込ませない…、これが歴史の重みなのでしょう。
余談ですが、小早川隆景はこの戦いも含め、多くの戦果を上げています。
後の時代には豊臣秀吉にも重用され、実子の居なかった彼の為に、秀吉の養子の羽柴秀秋を養子に迎えさせています。
この羽柴秀秋こそが、後に岡山藩主となる小早川秀詮です。
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写真撮影:岡山の街角から
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写真:備中松山城・天守閣
写真撮影:岡山の街角から
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