本日の登城、ホント大儀でした。
まだまだ続くお城への道
休憩で英気を養って、やるき満々で進みます。
…で、目の前に広がるこの風景。
一気にげんなり。
山道も急勾配ですし、雪も激しくて足もとが悪く滑りまくりました。昔のお侍さん達は服装や履物を考えても冬は大変だった事でしょう。
備中松山城を本格的に要塞化したのは三村元親です。
毛利氏について九州へ進攻していた隙を突かれて宇喜多氏に城を乗っ取られた際に手を加えたもので、「砦二十一丸」と呼ばれる出丸を築いたそうです。
この上がっていきづらい道もその頃の戦略の一つだったのでしょうか。
しかし備中松山城が天守閣も含めて現存しているのは、こうした立地に建っていたも寄与しているのです。
城主の伝言5
『本日の登城
大儀であった』
じょ、城主ーーーーっ!
もはや城主萌え。
いや、ほんっとに大儀でした。
この看板から少し坂を上ると、石垣等が見えてきて大手門跡に辿り付けます。
…が、最悪な事にこの日は石段の補修が行われている最中で、石段には土嚢が置いてあり、もう罠としか思えないくらい滑る状況になっていました。
雪の勢いも相俟って、帰り道が非常に気になってきたのですが…今は進むしかありません。
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写真撮影:岡山の街角から
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写真撮影:岡山の街角から
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