下津井城址を歩く4:本丸周辺

 
 ここが本丸跡です。
 他の場所と同様に何も残されてはおらず、現在では左側の写真のような広場になっていて、端っこの方へ右側の写真の記念碑が建てられています。
 石垣が非常に立派に思えたので大きな城なのかと思いましたが、先に見てきた西の丸周辺と言い、サイズはコンパクトなものだったようです。
 本丸があったであろう場所に若い木が伸びてきているのが、時の移ろいを感じさせます。

 ところでこの下津井城、そもそもは豊臣秀吉さんの五大老に数えられる宇喜多秀家さんによって1500年代の末頃に建てられました。
 初代の城主は宇喜多直家さんの命で三村家親さんを暗殺した事で知られる『遠藤兄弟』の兄である浮田家久さんです。
 関が原の合戦で宇喜多家が失脚した後、岡山藩主となった池田忠継さんによって1607年に改修され、以後も池田家の管理下に置かれたものの、1639年に廃城になりました。

 最後の城主となったのは池田由成さんで、この方の娘さんである熊子さんは忠臣蔵で有名な大石内蔵助さんのお母さん…つまり、由成さんは祖父に当たります。
 この経緯から、下津井城から程近い阿津という地域には、忠臣蔵の事件で家が取り潰しになった後に池田家を頼って移住してきた浅野家の人々が掘ったとされる『赤穂井戸』が伝えられています。

 廃城後は倉敷市の天城へ陣屋を築き、現在では建物こそ残されていないものの、建物があった場所に記念碑が設置されています。
 ちなみに天城にある正福寺には下津井城の門が、同じく天城の静光寺には陣屋の門がそれぞれ移動され、活用されています。
 建物の面影を感じられるかもしれませんし、興味がある方は見学に訪れてみてはいかがでしょうか♪
 

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写真撮影:岡山の街角から


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