下津井城址を歩く5:天守閣周辺
本丸跡の奥には天守閣の跡があります。(左の写真参照)
少し小高くなっている場所で、恐らく昔は展望が抜群だったと思われます。
現在は木々が茂っており、案内が立っていなければ見過ごしてしまいそうな状態です。
遺構自体が判りづらいというのもありますが、恐らく天守閣自体がとても小さなものだったのだと思います。
天守閣は、城のシンボルという意味合いも含みますが、本来は戦時に城の内外の状況や、遠くからの敵襲を確認する為の高台として活用されるものだそうです。
下津井城にあった天守閣というのは、後者としての役割を重視したものだったのかもしれませんね。
せっかく公園に整備されているのですし、もう少し木々の剪定などでどのような景色を見ていたのか判るような形にして欲しいな…なんて、ちょっと贅沢な事を感じました。
天守閣跡からの風景を見て、次は三の丸を目指して進んでいきます。
下津井城は直線的に様々な建物が作られていたようで、余り曲がりくねったりする事は少なく淡々と歩き続ける時間が多いです。
以前、松山城を訪れた際には敵襲のために門の直前に直角のカーブを作ったりという工夫がなされていましたが、少し趣きが違う城内散策となりました。
右の写真は天守閣から三の丸へと続いていく道で、ここでも小さな石垣が見られます。
また小さな観音様(写真では判りづらいですが、左側の木の奥にある、人工的な四角い台座がそれです)が見られますが、赤いおべべは着ていないので、安らかな気持ちで手を合わせました。
本文中では割愛していますが、○○番という番号を振られたものが幾つも設置して有り、場所によっては道の無い崖の途中にもそれらしい後姿が見られたりしました。
小さな八十八箇所でも作ってあったのかもしれませね。
ちなみに現在の玉野市、倉敷市周辺を中心に児島八十八箇所という霊場周りが出来るようになっています。
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写真撮影:岡山の街角から
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