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現在の貝尾の様子

津山事件とは? 事件概要とその動機


事件概要(簡潔に)


 津山事件は1938年5月21日未明に岡山県北部の苫田郡西加茂村行重(※現・津山市)の貝尾と坂元の集落で発生した殺人事件です。
 犯人は貝尾集落に住む都井睦雄という青年です。

 被害者は33名、即死者が28名、12時間以内の死者が2名、重軽傷者が3名です。
 明治時代以降の日本における殺人事件として最多の数字であり、2019年の京都アニメーションへの放火事件が発生するまで日本のワースト記録でした。
 死亡者数から「津山三十人殺し」と呼ばれる事もあります。

 事件は専ら貝尾集落で発生しており、坂元集落は1軒のみです。
 この事から貝尾での死者は28名となり、当時の人口が111人だったので、集落の半数の家が襲われ、約25%の住民が殺害されたことになります。

 犯行後に都井睦雄は現場から逃走、後に貝尾から北西に位置する荒坂峠の山頂で自殺したと思われる遺体が発見されました。

遺書から読み取る事件の原因


 犯人である都井が捕まることなく亡くなった為に、本人の口から事件を起こした原因については語られませんでした。なので実際のところは不明です。
 しかし自殺現場に遺書が残されており、その内容から推測する事が出来ます。

病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた
 原因の一つとしてよく挙げられるのが肺結核です。都井は肺結核に侵されていました。当時は効果的な治療法が見つかる前で、不治の病に数えられていました。
 感染の恐れもある事から、周囲の人々から関りを絶たれるなどの差別的な扱いを受ける事もありました。
 遺書にある一文はその差別が実際にあった事を示しているようです。
 またこの病気の為に徴兵で丙種合格という実質的に不合格の判断を受けており、この事も集落での差別を助長させた可能性があります。

僕と以前関係があった〇〇〇〇〇が貝尾に来たから
 もう一つ原因として知られるのが、男女関係のもつれです。
 当時の日本の農山村では少なからず「夜這い」と呼ばれる習慣があったと言われています。これは夜に女性の住む家に忍び込んで性的関係を結ぶ習慣です。
 婚前交渉である場合もあったようですが、都井が関係を持った(持とうと接触した)相手には既婚者も含まれており、娯楽としての性交渉という側面もあったのかもしれません。
 
 後に肺結核や徴兵への丙種合格などで拒まれる事も多くなり、その事が恨みとして事件の引き金になったようです。事件前にしたため、自宅に残されていた遺書には神に対して体を丈夫にして「きゃつ等を殺さして下さい。(中略)きゃつ等を殺しましたら其の場で命を神様に差し上げます」と、事件後の自殺まで心に決めていた事を伺わせる一文も見られます。

 上の文言で伏字(〇〇)にしている人物も夜這いで関係を持っていた女性ですが、よその集落に嫁に出ていました。

※遺書引用元「津山事件報告書」司法省刑事局

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写真:現在の貝尾地区
写真撮影:岡山の街角から


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