都井睦雄の半生2・孤独と拒絶から生まれた復讐心
都井睦雄、奔放な性生活と徴兵検査
病気療養のため、どこか茫漠とした日々を送っていた都井睦雄の生活に、一つの大きな変化が訪れます。それは、親代わりとして
慕っていた姉の結婚でした。
姉が家を出たことで、17歳だった睦雄は精神的に不安定な状態に陥ったとも言われています。
祖母がいたとはいえ唯一の姉弟である姉の不在は、睦雄に深い寂しさをもたらしたのかもしれません。この頃から、彼は集落の女
性たちとの性的な関係を持つようになります。
当時は日中戦争の真っ只中であり、健康な若い男性の多くが戦地へ赴いていました。そのため、徴兵前の10代で集落に残った都井
睦雄のような男性は、比較的女性にモテたようです。
しかし、こうした関係も、睦雄の徴兵検査を境に大きく変わってしまいます。
20歳を迎えた1937年(昭和12年)に受けた検査の結果は、結核を理由とする「丙種合格」でした。当時の
徴兵検査には「不合格」という項目はなく、甲種、乙種、丙種、丁種、戊種に分けられ、いずれも「合格」とされました。
しかし、丙種は身体に何らかの障害を持つ者で、常に軍に帯同する「現役」には不向きだが、「国民兵役」は負える者を指しまし
た。戦争が激化すれば招集される可能性はありましたが、この時点では実質的に不合格扱いでした。
集団生活である軍において、結核のような感染症は非常に忌避されたのです。ただし、病気や病み上がり直後が指定される「戊 種」ではなかったことから、睦雄は自身が思うほど重症ではなかったの ではないか、とも考えられています。
孤立~復讐へ
徴兵検査での丙種合格(実質的な不合格)は集落における睦雄の立場を難しい物にしていく事になります。
当時の感覚では成人男性として半人前とみなされ、肩身の狭い思いをする事もあったようです。更にその原因が結核という事もあり、睦 雄は集落の中で避けられるようになりました。
女性との関係は拒まれるようになり、姿を見かけるとわざわざ迂回して近付かないようにするなど、村八分の状態に陥りました。
また幼馴染で思いを寄せていた女性も結婚で離れて行ってしまいました。
こうした状況が津山事件の原因であり、後の被害者のターゲットの選定に繋がりました。
20歳を迎え徴兵検査を受けた睦雄は、同時にこれまで受けていた祖母の後見から離れ、自らの財産を自由に扱える立場になりました。
前ページで紹介した通り家督相続の問題の際に少なからぬ財産を手にしています。それらを担保に借金をし、猟銃などの装備を整えまし た。
そして山にこもると人の急所を一撃する為の射撃訓練に勤しみ、来るべき本番の日に備えました。
しかし一度はそれらの武器は警察に没収されてしまいます。
睦雄の異変を感知した周辺住民が警察へ相談、家宅捜索が行われました。その前には祖母の味噌汁に何かしらの薬品を入れて大騒ぎに なった事もあり、警察も警戒していたのかもしれません。
しかしこれで事件を諦める事はありませんでした。遺書ではこの一件で警戒が解かれた事は寧ろ都合が良いと考えた旨がつづられていま す。
再び武器類を揃えた睦雄は、ついに事件を決行に移します。
かつて自分と関係のあった女性二人が里帰りしている事が契機となったようです。
犯行しやすいように周囲を停電させ、寝静まった夜の貝尾に繰り出していくのでした。

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写真:睦雄の家の近くにある地蔵
写真撮影:岡山の街角から

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