TOPコラム津山事件を学ぶ>3.都井睦雄の半生2

現在の貝尾の様子

都井睦雄の半生2(青年期~事件まで)


都井睦雄、奔放な性生活と徴兵検査


 病気療養を理由に無為な日々を過ごしていた睦雄の生活に、姉の結婚という一つの大きな変化が訪れます。結婚に伴い家を出てしまい、精神的に不安定な状態に陥ったともいわれています。都井睦雄、17歳の時です。
 親代わりに育ててきた祖母がいるとは言え、唯一の兄弟である姉がいなくなることは睦雄に寂しさを与えたのでしょうか。この時期から貝尾の女性との性的な交遊が見られるようになります。
 当時は日中戦争の最中で、健康的な若い男性は戦地に赴いていました。その為、都井睦雄のような徴兵前の十代で集落に留まった男性はモテたようです。
 
 しかしそうした関係も睦雄の徴兵検査で変わます。
 20歳を迎えた1937年に受けた検査の結果は結核を理由とする「丙種合格」でした。
 当時の徴兵検査には不合格という項目はなく、甲種、乙種、丙種、丁種、戊種に分けて、それぞれ合格とされました。
 丙種は身体に何かしらの障害を持つ者の中で、常時から軍に帯同する現役にはふさわしくないが、国民兵役は負える者を指します。戦争が激化すると招集されるようになりますが、この時点では実質的には不合格の扱いでした。

 集団生活である軍において、感染する病気は忌避されたのです。ただし病気や病み上がり直後が指定される「戊種」ではなかった事から、睦雄は自身が思うほど重症ではなかったのではないかとも考えられています。

孤立~復讐へ


 徴兵検査での丙種合格(実質的な不合格)は集落における睦雄の立場を難しい物にしていく事になります。

 当時の感覚では成人男性として半人前とみなされ、肩身の狭い思いをする事もあったようです。更にその原因が結核という事もあり、睦雄は集落の中で避けられるようになりました。
 女性との関係は拒まれるようになり、姿を見かけるとわざわざ迂回して近付かないようにするなど、村八分の状態に陥りました。
 また幼馴染で思いを寄せていた女性も結婚で離れて行ってしまいました。
 こうした状況が津山事件の原因であり、ターゲットの選定に繋がりました。

 20歳を迎え徴兵検査を受けた睦雄は、同時にこれまで受けていた祖母の後見から離れ、自らの財産を自由に扱える立場になりました。
 前ページで紹介した通り家督相続の問題の際に少なからぬ財産を手にしています。それらを担保に借金をし、猟銃などの装備を整えました。
 そして山にこもると人の急所を一撃する為の射撃訓練に勤しみ、来るべき本番の日に備えました。
 
 しかし一度はそれらの武器は警察に没収されてしまいます。
 睦雄の異変を感知した周辺住民が警察へ相談、家宅捜索が行われました。その前には祖母の味噌汁に何かしらの薬品を入れて大騒ぎになった事もあり、警察も警戒していたのかもしれません。
 しかしこれで事件を諦める事はありませんでした。遺書ではこの事で警戒が解かれ都合が良いと考えた旨がつづられています。

 再び武器類を揃えた睦雄は、ついに事件を決行に移します。
 かつて自分と関係のあった女性二人が里帰りしている事が契機となったようです。
 犯行しやすいように周囲を停電させ、寝静まった夜の貝尾に繰り出していくのでした。
 

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目 次

写真:睦雄の家の近くにある地蔵
写真撮影:岡山の街角から


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