TOPコラム津山事件を学ぶ>7.夜這いの習慣について

夜空

夜這いの習慣について

夜這いとは


 津山事件の原因の一つとして挙げられるのが夜這いの習慣です。都井睦雄がターゲットして掲げた中には、誘いに応じていたのに離れていった、周囲に言いふらしたなどの夜這いから生じた恨みを持った相手が少なくありません。

 記事によっては貝尾集落に特別に夜這いの習慣があったかのように書かれていますが、決してそういう訳ではなく、戦後まで日本の農村部などで見られたようです。
 津山事件の報道では夜這いに対して否定的な論調が多く、また警察の調査においても夜這いについて語れる事は無く、夜這いについて恥ずかしい事、表に出せない話題であるという感覚があった事を伺わせます。
 この事は津山事件の真相解明の障壁となり、都井睦雄と集落の女性たちとの関係は明らかになりませんでした。
 遺書で関係について触れられたある女性は、「無理矢理に関係をつけられた」とし、更に行為の途中で睦雄が果てた為にきちんとした関係ではなかったという旨の証言をしています。(津山事件報告書、「関係人供述要旨」より)

 一言で夜這いと言いますが、実際には二つの側面があるようです。
 まず婚前交渉の場として、そして娯楽や性教育の場としてです。

 岡山県の郷土史家、立石憲利さんの著書「岡山の色ばなし-夜這いのあったころ」には様々な夜這いの経験がつづられています。
 その中では事前に約束を取り付けてから夜這いにいく自由恋愛の一環としての夜這いの他に、性経験のない男性が年長の女性から学ぶ為に行く事を促されるパターンがあった事が記されています。
 一部には娯楽の無い農村部で性行為自体を楽しむ目的の夜這いがあったのようで、前述の著書の中にもお祭りで出会った男性と関係を持ちながらも、「そのときの若衆は、どこの誰か知らん(「岡山の色ばなし」大宮様の子より引用)と、ワンナイトスタンドであった事を綴るエピソードもありました。

都井睦雄と夜這い


 では都井睦雄によっての夜這いはどのような形だったのでしょう。
 まずこの事件の日程が選ばれた理由となった女性の存在があります。都井睦雄が真剣に恋に落ちていたとされる相手です。
 女性とそのような関係性を築いていた事を考えると、婚前交渉としての夜這いがあった事も事実です。

 一方で既婚者で恋愛対象ではないであろう年の離れた女性との関係も遺書に綴られており、性行為を娯楽として楽しむ為の夜這いも行われていたであろう事が推測されます。
 当時の日本は日中戦争の最中で若い男性が少なく、睦雄のような徴兵前の青年はモテたのでしょう。

 ここからは推測になりますが、早くに両親を亡くし、更に姉も結婚で離れて行ってしまった睦雄にとって、夜這いで関係を持った女性たちに対して、通常よりも強く相手に依存する気持ちは強かったであろう事が想像できます。
 それ故に肺病や徴兵検査の事実上の不合格(丙種合格)で彼らが離れていった事に関する恨みもまた同様に強いものになったになったのではないでしょうか。




前ページ トップページ 次ページ



目 次

写真:夜空
写真撮影:写真AC


 -戻る-



ページトップに戻る