津山事件、殺人の詳細
都井睦雄の装備類
本人の遺書にも記されている通り、事件の日が選ばれたのは睦雄が恨みを抱いている女性二人が里帰りしてきた為です。
装備下記の通り。
服装は詰襟の学生服、脚絆、地下足袋が選ばれ ました。
脚絆はズボンのすそのバタつきを抑える物です。地下足袋も接地性にすぐれ足場が悪い場所でも動きやすい事が特徴なので、機動力を最 優先に選んだ服装と言えるでしょう。
その下には白のアンダーシャツ、メリヤスシャツ、更に木綿の腹巻を着用しています。事件が起きたのが春である事を考えると、腹巻 は防具だったのでしょうか。
照明類は懐中電灯とナショナルランプが選ばれ ました。
頭には鉢巻を締めていますが、これは懐中電灯 を固定させる目的で着用されました。両側に懐中電灯が収まるポケットを付け足していました。
ナショナルランプは自転車のライトとして使えるように開発された大型のライトです。後にパナソニックから似た形状の製品が再発され たので紹介します。
現在の感覚で言えば作業灯に近いアイテムです。この製品を首から下げて周囲を照らしました。余り電池の持ちは良くなかったのか、そ の他の要因で壊れたのか、事件の後半でライトは消えていました。
その頃から睦雄の銃撃の的中率が低下しており、照明しては有用だったことが伺えます。
前述の懐中電灯と合わせて、遠くからは三つ目の何かのように見えたそうです。
武器は9連発に改造したブローニング・オート5、そして日本刀1本と匕首を2本でした。オート5は狩猟用として出回っていたもので す。

こちらがブローニング・オート5です。
改造し たという部分を読むと睦雄には銃器を扱う相当な知識があったのかと思いますが、実際は延長弾倉が販売されており、これを取り付けるだ けの簡単な作業だったそうです。
これらを装着する為の帯皮も着用していました。
実際の衣装については映画「丑三つの村」がよく再現しているので、ジャケットの画像を紹介します。
事件準備~祖母殺害
事件は入念に計算されて起きています。
まず夕方五時ごろに貝尾集落を停電させています。事件から70年後に被害者遺族がインタビューで答えた際に、停電が起きた際は睦雄 がよく修理していたそうです。その経験から、停電を起こす方法も把握していたのでしょう。
当時は停電が起こる事は珍しくなく、特に不審に思う事は無かったそうです。そして、そのまま人々は眠りに落ちていきました。
津山事件報告書によると睦雄が犯行に移ったのは深夜二時ごろとされています。
最初の被害者は睦雄と同居の祖母です。幼児期に両親を亡くした彼にとっては育ての親です。その理由として事件後に書いた遺 書には「後に残る不びんを考えてついあゝした事を行つ た、楽に死ねる様と思つたらあまりみじめなことをした、まことにすみません」とあります。
犯人の祖母、育ての親として集落に残される事を思い、いっそのこと死んでもらった方が良いと考えての犯行だったようです。
この祖母の殺害について、様々な記事で即死という表現を目にします。しかし遺書にある「みじめなことをした」という表現が気になり、事 件報告書に収録されている遺体の検査記録を調べてみました。
すると祖母の欄には「頸部ヲ数回ニ渉リテ切断シテ」 とあります。即死という言葉から連想されるように一撃で殺害したのではなく、断末魔や苦しむ様子を目にしていたのかも知れま せん。
闇を駆ける睦雄:襲撃された11軒
津山事件が発生した順番について一部サイトに記載がありますが、実際に判明しているのは最初の祖母、次の事件、そして最終の事件の 順番だけのようです。
最初に襲撃したのは都井家からすぐ北隣の家で、最後は坂元集落で唯一の被害が出た家です。その他に関しては恨みに思う深さの順だっ たのか、単に効率重視で回ったのかは不明です。
ここではwikipediaに記載の順番で被害の様子を確認します。この順番は筑波昭著の「津山三十人殺し」の記載に沿っているようです。
0.都井睦雄の自宅:被害 者1名
※睦雄の祖母
1.死亡者3名
※戸主は兵役で不在。亡くなったのは戸主の母、弟2人。
妹は養蚕の手伝いで7件目に被害に遭った家に泊まっていたが、そこで死亡 した
戸主は事件後に帰郷、「悲劇の勇 士」として新聞に取り上げられた
2.死亡者4名、一家全滅
※この家の戸主の妻と睦夫に肉体関係があったと言われる。関係悪化後に睦夫が夜這いしてきた事を村中に言いふらされた事を恨 んでいた。
3.死亡者3名、重傷者1名
※2の家の被害者の娘の嫁ぎ先で、襲撃理由もその為だった。
4. 死亡者5名
※1名は隣家に逃亡した。この時に逃げたのが睦雄が恋していた人物で、寺井ゆり子の仮名でよく知られる女性。 彼女は避難先の家でも襲撃されるものの生存した。
5.死亡者1名、軽症者1名
※4の家で逃げた女性の避難先の家だった
6.死亡者2名、一家全滅
※この家の未亡人は睦夫から金品を受け取り夜這いの相手をしていたと言われる。事件発生時には睦夫と別の男と関係を持ってい たとされるが、標的になった大きな理由は睦夫の思い人の結婚の際に媒酌人を務めた事と考えられる。
7.死亡者3名
※志望者の内1名は1の家の娘で泊りがけで養蚕の手伝いに来ていた。内1名は8の家の娘。睦夫 の夜這いを断った為に恨まれていたとされる。
戸主は睦雄の悪口を言わなかった事を理由に見逃されている。また長男も命乞いが通じて見逃された。睦雄の目的は前述の養蚕の 手伝いに来ていた2名だった為、この家自体には恨みが無かった?
8.死亡者1名
※戸主は睦夫の思い人(仮名、寺井ゆり子)の最初の結婚相手。彼は逃げ延び事件の第一報を駐在所へ伝えている。妹は7件 目の襲撃先で殺害済み、自宅では母が襲撃を受け、受傷から6時間後に死亡した。
9.死亡者4名
※戸主の妹は睦夫の夜這いの相手だったが、結核罹患後に関係が破綻した。睦夫の行動に異常を感じ、事件前に京都に避難してい た。睦夫はその動きを把握しており、兄の家を襲撃したのは、身代わりにしたものと考えられる。
10.死亡者1名
※被害者は 受傷から12時間後に死亡した。
戸主は金で集落の女性と関係を持っており、睦夫の遺書では名指しで「ああ言うものは此の世からほうむるべき」と書かれてい る。本人は襲撃の際に在宅だったが、避難が間に合い無事だった。
11.死亡者2名、一家全滅
※唯一の坂元集落の被害者
戸主の妻と夜這いの関係にあったが、戸主が快く思わず邪魔されていた。事件当時は睦夫ではなく、10の家の戸 主と関係を持っていたとされる。
以上の11軒(睦雄の家を含めると12軒)で計30名が殺害されました。津山事件を津 山三十人殺しと呼ぶのはこの事に由来 します。稀に睦雄自身をカウントして死亡者を31人とすることもありますが、犯人を含めるのは一般的ではないでしょう。
こうして見てみると逆恨みのような事情も含まれるものの、恨みを抱いた家のみを狙って襲撃をしていたことが分かります。
事件後、都井睦雄は貝尾集落から北西にある樽井地区の家を訪問し、紙と鉛筆を調達します。この家は知り 合いの子供がおり、恐らくその事からこの家を選んだと思われます。それから荒坂峠の山頂へ移 動。ここで自らの命を絶ちました。

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写真:睦雄の家の近くにある地蔵
写真撮影:岡山の街角から

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