墓石に残された事件の痕跡
津山事件、貝尾集落最大の誤解
津山事件の舞台となった貝尾集落に訪れた人の多くが事件の痕跡として紹介するのが、墓石に刻まれた死亡年月日です。
事件の被害者の墓石には昭和13年5月21日(一部は22日)が記されており、それだけが山間の静かな集落でかつて凄惨な事件が起こった事を物語っています。
今、この記事を読んでいる方の多くもこれまでにそうしたサイトや動画を見てきたという人も多いと思います。そして恐らく同じ誤解に陥っているのではないかと思います。
貝尾集落の墓地に行くと、同じ日付の墓がいくつも並んでいて、その被害者の数や事件の恐ろしさを今に伝える…と。
実は貝尾にそういった風景はありません。
都市部などで見られるような地区としての霊園ではなく、集落内に上の写真のように少しの墓石が並ぶ墓地が幾つか存在します。
田舎では決して珍しい風景ではなく、個々の家ごとに墓地を構えているのです。
なので一か所の墓地でいくつもの同じ日付を見る事はありません。一つの墓地に1~2つの被害者の墓石がある程度です。
こちらは事件翌日の22日の日付で二つの墓石が並んでいます。
日付がずれているのは即死ではなかったのか、それとも人数が多いために医師による死亡確認が日付を超えてしまった為でしょうか。
もう一つの誤解、実名
墓石の話題が出たので、それに関連してもう一つの誤解についても紹介します。
私は今回のコラム記事の中では実行犯である都井睦雄以外の人名を出していません。
事件自体がかなり昔の出来事ではあるものの、事件が起きた集落の場所が有名になっている事、そしてそこに親族、子孫が住み続けているケースもある事なども考慮してそのようにしています。
しかし一部のネット記事では名前が出ており、これに対して反感や疑問を抱いた方もおられるのではないでしょうか。
実はこれらの殆ども実名ではありません。
実際に貝尾に訪れて墓石を見た人なら気付いた筈です。ネット上で津山事件について名前付きで触れている記事の殆どと墓石にある名前が異なります。
最初に貝尾を訪れた時に非常に違和感がありました。前述のように事件の被害者や親族に配慮して仮名を用いるのは理解が出来ますが、多くのサイトで同じ仮名を用いているのです。
最初はまず墓石の方を疑いました。多くの注目を集めた事件なので、名前を仮名にすることで世間の注目を過度に集めないように配慮したのではないかと。
しかし津山事件報告書に掲載されている検死の資料に出てくる名前と墓石は一致するので、やはりネット上で出回っている名前が異なる事になります。
(実際の墓石。名前は当サイトでモザイク処理済み)
何かしら情報統制をおこなうような謎の組織でもあるのかと、柄でもない陰謀論に走りそうになりました。しかしよく調べて、一つの結論に至りました。
ネット上で用いられている仮名は筑波 昭氏の「津山三十人殺し」で用いられているのと同じです。同氏の本は1981年に出版され、長らく津山事件に関して最も詳細な資料とされていました。
この本では冒頭で僅かに「事件関係者の名前は、必要と思われる場合、仮名とした」と触れていますが、実際に誰を仮名にしたのかに関しては記載がありません。
なので一部のメディアは仮名を拝借して、また一部のメディアはそれを仮名と気付かないまま転載しているのでしょう。そして多くのメディアが同じ仮名を採用するという不可思議な現象が起きたようです。
目 次
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写真:睦雄の家の近くにある地蔵
写真撮影:岡山の街角から
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